ニュークラフトムーブメントを展望して

「クラフトフェアまつもと」ブックレット掲載記事
CFM事務局発刊 1987

 

1967年の夏、50ccのバイクに寝具、食料等一式を積んで甲州街道を下り、松本から高山→富山→山形へと友人と2人で民家や伝統工芸・木工産業の見学にでかけた。安房峠を越える時、荷台のキスリングザックが重すぎて急坂悪路でひっくり返るカタツムリスタイルであった。前夜は、集中豪雨に見舞われ、バケツの水をひっくり返したような、一晩で川が出来る程の雨に立往生し、途中梓川ダム工事で移転する民家にお世話になったことがあった。翌日、飛騨川バス転落事故の悲惨なニュースを聞いて、安否確認をして安房峠を越える。

当時は、まだ道路事情も悪く、のどかな田園風景の中に、美しいプロポーションの民家群や町家も多く、新建材の氾濫がひどくなる前の状態であったと思う。松本及び高山・富山では、民芸運動が盛んで、コレクターや熱心な運動家に出会い、実測したり、工房を訪問して工芸の現場の活気と職人の技に直接触れ、大いに教示を受けた。素朴な意匠、用と美、使い手と結びついたものづくりなどが民芸的精神として尊重され、大量生産工業製品に対峙した伝統的生活文化の見直しを強調し、人と道具の関係を考究することを規範としていたが、その真摯な活動に共感して「民芸バス」に乗り合わせた若い人々にその時出会った。

民芸調、民芸ブームという言葉が生まれるくらいにマスコミにもてはやされ、流行し、ノスタルジーを感じさせる生活スタイルとして、次第に商業的価値を帯び、アンチーク、骨董マーチャンダイジングへと組み込まれるようになった。無名性(アノニマス)・本物志向・まじめな作りなど要素は次第に変容し、商業的性格が強まる中で、自分のクラフトマンシップを求めようと民芸バスから途中下車する人が出てきた。

結局、環境や資源問題など、他の社会事象とは結びつかず、私は見極めてこのバスには乗らなかった。この時、松本で知り合った職人やその後松本へ入ったクラフト作家志向の人々が、クラフトフェアー松本の中核となったのである。

高度工業化社会の進行に伴い、民芸という伝統的文化活動の前進基盤は崩れはじめ、新しい時代背景の中から、新しい造形感覚、自己表現手法をもつクラフトマンが現れてきた。従来の工芸的イメージからは離れて、「遊び」の精神・楽しみ・自己のライフスタイル表現に重心を置き、カテゴリーからはみ出して、生活雑貨からステーショナリー用品(文房具等)、クリエイティブグッズ及びポップアートまで多彩な表情をもっている。

これらは、アメリカンクラフト・ニューデザインウェーブやナチュラリズムの影響、さらに工業製品偏重、ハイテック化に対して批判的な姿勢をとる人々が多く、自然環境と生活形態を統合したひとつのアクションとして手づくりを目指している点も特徴的である。生活の中で「うるおい」や「やすらぎ」「たしかさ」と結びついたものづくりを通じ、自己表現を求め、豊かさのイメージを物性から感性にもつなげている「ハイタッチ」派とも言うべき存在である。

工業化が進むにつれて、産業廃棄物・騒音・汚染量は増大し、ストレスは高まり、失うものが多く人間同志の結びつきも損われるようになったことも事実である。

 

昨年秋、ニューヨーク近代美術館MOMA(The Museum of Modern Art)の正面にクラフトミューゼアム(American Craft Museum)が開館した。

その収集展示物は、従来のクラフトという概念・領域を越えて、多彩で自由な作品を集め、新しいイメージを創出している。定形的な発想では、解釈・分類しにくい独創的な作品が入ってきており、新しい確かな文化潮流が現れてきた。同様なクラフトムーブメントは、先進工業国の西ドイツにも見られる。

1986年11月、私は偶然に、ダームシュタット市内のショッピングセンタービルプラザでクラフトフェアーが開催されているのに行き当たった。陶器・ガラス・宝飾・アクセサリー・木工・ファブリック等のワークショップが並び、実演を行ないつつ作品を解説・販売するという形式である。

実際に製作手順を納得するまでみている人が多く、作り手との会話や緊張した雰囲気には、全くすばらしい印象を受けた。近くのメインストリートには西ドイツを中心にヨーロッパ各地から集めた木の遊具専門店が出来、人目を引いていたが、同じようなクラフトイベント・文化的傾向が各地で生まれてきているようだ。

クラフトフェアー松本は、クラフトマンの集りであり、個展の集合体で運営され、流通機構を除外している点で、日本の先端的役割を果すであろう。運営が軌道に乗るにつれ、イベント性・経済効果に注目して寄り添ってくる商業性作為をどのように処理していくかが今後の課題となるであろうし、地域に根ざした創造的な文化活動として位置づけられることをガイドポストにしているが、催事につきまとう業務上の繁雑さは減ることはなく、同時に、雑音も耳に入ってくると予測される。

私見であるが、物販中心より、実演・交流に主力を置く方が、クラフトマンシップを持続でき、発展の可能性も高いと思う。私は一年に一度の楽しみであり続けてほしいと願いつつ、現在の作品内容を見て不安に感じることを否定できない。従前の職人・工芸家は、作ることに専念していればよかったが、現代のクラフトマンは、デザインセンスや技巧を身につけるだけではなく、作品をプレゼンテーションし、時には個展や論文発表を行い、かつ、商才も事務的能力も必要な職能になってきている。

デザインや表現能力のある人は、技能が伴わず、反対に、技術は優れているが造形面では貧弱なもの、オリジナリティの薄いイージーコピーなど稚拙な内容が目につくほか、習熟、手練を経ず、職業訓練校を出て「作家」になる軽薄短少コースでは、時代の激しい変化には耐えきれない。クラフトのイメージや性格・用途は時代によって変貌していくが、「もの」づくりの背後にあるものを極め、遊び心やペーソスのきいた表現だけでなく、重厚で使い手が圧倒されるような気迫・存在感で迫りくる時代を揺り動かすクラフトマインドに、私は出会いたい。

問題や課題が多くなるほど、その営為は重要さを増し、新しい次元を切り拓くことにつながってくるはずである。

ABE 記  2013/05/16