ジョイントシステムに関する研究 ー甚五郎國政の指物ー(4)

デザイン学研究 No.39 別刷 日本デザイン学会研究発表 1982年11月
BULLETIN OF JAPANESE SOCIETY FOR SIENCE OF DESIGN NO.44 November. 1982.

ジョイントシステムに関する研究 ー甚五郎國政の指物ー(4)
A Study on The Joint-System –Joinery Design of Jingorō Kunimasa–(4)

阿部蔵之 Abe Kurayuki
AQデザイン研究開発事務所
1. 研究の目的と方法
國政流変形枘・逆枘の組手系譜は、我国の伝統工芸のなかで極めて高度の木工技術体系を構築し、そのジョイント機構自体が核心的部分を占める要素技術(Critical Technology)となり様々な造形上の表現手法(Design Methodology)が統合されている。本稿では、第3報にひきつづき、一つの工芸様式として成立した過程と由来及び適用された細工物、未詳の工法や継承されてきた作風形体に関する事項についてその概要を報告する。

〔2-8〕絶えた系譜「挽抜き物」
門外秘伝とされた技の伝承は一子相伝とされ、11代指政には、「枘物」を得意とした12代指祥と、通称「神田小川町のジローさん」と呼ばれた「挽抜き物」の後継者が実在した。枠組や箱体を枘加工した部材により組上げる「枘物」に対して「挽抜き物」は、大きな板から鋸でタンスや火鉢の抽斗・棚口・引戸・扉などを総て挽きぬく工作法 3)である。桑・欅等、美麗な木目を一体のままで表面にあらわし、正確に挽き抜かれた部分がそのまま連続的に仕込まれ仕上面となる非常に精巧なもの。しかし、高価で工手間がかかり、良材が枯渇するにつれて需要もなくなり技法そのもが終焉、消滅した。

〔2-9〕変形枘・逆枘の用途
直交する二方位の組手の選択は、被工作物の形相・意匠・部材寸法及び木理・杢の他、使用条件・構造強度が深く関係する。手筥・硯箱・小箱類には、内枘・四方木口・合掌・象嵌枘や菊・小ヒビ天秤など繊細な枘が用いられ、箪笥火鉢等、高級なものほど手のこんだ難しい型をつけた。製作する品物の附加価値を上げるためのみならず、工匠自らの向上練達を重ねた気質と優品を所持して希少性を誇示した顧客側の気風、流行も相互に作用した結果であろう。
特に、長火鉢は炭火を入れ木部が熱で狂いやすく割れを起すため釘が疲れない。ハナ付工法のように制約条件が「質」への追求を促し技術を飛躍させている。この流派の場合、四方を相異なる変形枘で組むのが原則である。

〔2-10〕長火鉢について
長火鉢の基本原型は、角形火鉢(手焙り)で下部に抽斗と上部に落し枠・甲板を付けた連楽火鉢の側面に数段の抽斗収納部(上り)を加えた形態となっている。長火鉢の発生年限は定かではない。関東型と大阪型に二別され、形状に若干の差異がある。上方のものは、周縁部に3〜4寸の枠体〔膳板〕が乗り、この部分で飲食を

図-1. 長火鉢〔関東型〕総挽抜き・無(読めない漢字一字)
図-2. 挽抜き作業姿勢

図-3. 関東型長火鉢の構造と構成部材
図-4. 大阪型長火鉢

行うことができる。関東型は、長手2尺以上で「上り」と呼ばれる小抽斗三杯がつく。江戸時代、ふつうの堅気の人達は芸人・粋筋・商賣人等の真似はせず、くずれたものは決して使わないとされ、甲板の入ったものを連楽2)、膳板付きのものを不性火鉢と称してかたくなに嫌った。関東型3)の仕様は、2.2尺・2.3尺・並二五(2.4尺)・本五寸・本六寸・本八寸・三尺と七種あり、本五・本六寸の長火鉢が本式で最もプロポーションの良い形とされている。高さは江戸時代のものは、一尺程度で明治以後のものに比べて低い。本五寸の場合〔側(皮)板正七分、大抵8分、割抽2寸5分、前板幅8寸、縁1寸3分。用材は、欅杢板又は桑、縁は黒柿で1分5厘の挽き込み(桑・黒柿・桑の三板練付)、抽斗前板、前廻り、5〜6厘の黒柿又は桑の紐(薄板)を廻す。手掛は黒柿抜彫、抽斗入側・先側・中底・立切り内法部材は、並物は杉、上物は総て桐材。銅の落し一貫目等々。総て格好ものとして明確に形制・定格がつくられていた。長火鉢は暖房・調理兼用の移動できる小型キッチン機能のほか、禁煙・筆記・収納(乾燥庫)機能も集約され、更に膳板が付いて卓子とも成り、多湿な風土の中で便利な様式4)家具であった。関東型は、明治以後、合理的で形式にとらわれない大阪型の影響を大きく受け、台輪をはかせ高くしたり、舟落し、脇置をつけた改良折衷型が生まれている。
江戸、明治、大正、昭和歴代の工匠によって醸成し継承されてきた枘物、挽物、彫物の全容がこの長火鉢に見事に集大成されている。ジョイント機構は実用を離れては存在しない。形体の出現及び展開の内に歴史、文化的背景や「用」と結びついた装飾性を見い出すことができる。


1) 挽抜き作業の工具は主に罫引、哇挽鋸、胴付鋸、鑿、木矩、定規類であるが、通常の枘物と同様である。挽抜かれた部分は、鋸身厚さ分だけ黒柿又は桑材の紐を廻し練付けて化粧する。最大幅3尺・高さ4〜5尺・厚み7〜8分、「彫り物」のスカシから派生した技法のひとつと伝えられている。

2) 楽屋火鉢とも言う。五代目菊五郎が大阪から東京へ持込んだものが拡まり、芸人の楽屋で使用されたことから名づけられたと言われる。2尺以下で落しの上に甲板をのせ茶道具・飲食物を置ける火鉢である。

3) 昭和初年頃13代指明の修理記録では、文政年間の裏書きのある長火鉢を修繕している。三方変形枘・水又の組手が使用されており当時すでに関東型の形式があった。

4) 第2次世界大戦敗戦後、米軍関係者をはじめ来日した人々にリビングルーム用のセンターテーブル・ティーテーブルとして注目され多量に流出した。落し上枠をとり、磨いた銅の落しの上にガラス板を乗せ、コレクション等を入れて使用されることが多く、入念な作りの工芸家具・ジャパンスタイルとして珍重された。