ジョイントシステムに関する研究 ー甚五郎國政の指物ー(5)

デザイン学研究 No.44 別刷 日本デザイン学会研究発表 1983年11月
BULLETIN OF JAPANESE SOCIETY FOR SIENCE OF DESIGN NO.44 November. 1983.

ジョイントシステムに関する研究 ー甚五郎國政の指物ー(5)
A Study on The Joint-System –Joinery Design of Jingorō Kunimasa–(5)

阿部蔵之 Abe Kurayuki
AQデザイン研究開発事務所

1. 研究の目的と方法
ジョイント機構は、形体や機能を具現するための主要な作用を担い細部または部分を全体との関係で意味づけるとともに、それ自体がデザインの枠組みの中で強調されてIdentityを形成することが多い。國政流変形枘・逆枘の系譜と技法の発生・発展経緯を明らかにするためには、形制や様式・時代性のキメ細かい繊密な分析が必要であり、関連周辺技術と風俗・文化的背景も合わせて考究しなければならない。
本稿では第4報に引き続いて受け継がれてきた伝統技術用語と内容・「型」の伝授の仕方や実生活上の記録など微細な事項をIntensiveに調査し考察を加えることにより、流派の全体像を更に明確なものにすることができるであろう。

2. 考察と結果
13代指明が継承している技法や用語などの内に大工・建具・造〔雑〕作のほかは筥〔箱〕づくりの技法が混在している。軸組・継手・破風板の納まり・手摺の工作法や箱蓋・印籠は通常、指物の範疇に入らない。これは、指物が分業化する前の職能の祖形とみることができるであろう。枘物・挽物・彫物が結びついた長火鉢の事例のように指物には総合的な業務上の特徴が認められる点からも共通した工作法があることは、それぞれの技術分野が相互に密接な関係にあることを示している。

〔2-11〕「メチ」と「枘」について
組手は箱物・平物を主体として用いられ、継手は軸組など大型の架構物・角物を基本としているが、技法を個別にみると指物はジョイント部位の寸法・型のスケールが分・寸どまりであるのに対して大工系は、尺・寸と大きく、その要求性能も役物・内法仕上材を除くと、単なる構造、強度上の要求条件が多い。枘型を表に出す場合は根継ぎなど副次的なものが多く複雑な切り欠き部分は内枘でおさめ、ジョイント部位の変形や狂いを防止することが主要目的であるのに対し、指物系は、逆に観せる技の傾向が強まり装飾性が附加され構造と一体化している。
枘は、角柱及び板状の木材繊維方向・木口に加工され、その形状・イメージに適った様々の呼称がつけられている。枘より短く、補助的につけるメチ1)(芽置・目違)、枘長さを伸ばしたものをサヲ(棹・竿)と呼び突設量に応じて枘と併用・組合せたバリエーション展開があり図−1のように仕様上の識別がある。強度・用途・材厚・部位に応じて細部の変形が派生するシステムになっているが、現在、出版されている文献・工学書の記述は全て「目違い継」になっている。メチガイは、本来、平滑な面がズレを起して段差がついた状態をさす専門用語で不具合い・トラブルを意味するもので職人は忌み嫌う。万一、目違いが発生したら、すぐさま「はらう」のが定法であり、木取りをした後、正確に墨付け切り削んだ部材が目違いを起すことは下手な腕前・あってはならないもの。親方筋のはっきりしている人は、この区別が歴然としている。

図-1. 「ホゾ」・「メチ」・「サヲ」・「シャチ」・「テチ」

「メチ」は「カマ」と併に組合せ使用頻度が高い技法であり、接合部材間の芯直度を保持し、「ネジレ」や「フレ」をとめるために「入レル」もので、即ち、目違い防止効果をつけたジョイントである。なぜ相反する意味の名称がついたのか。ジョイント技法の出現や、その展開系統については、他の仕事との関連を無視しては考えられない。特に、技術的側面と歴史的背景が深く関与していると思われる。この「目違い継」は、明治中期の教科書2)に定義されており、古くは、江戸時代享保13念の「匠家仕口雛形2)」に「目違ひ」とふり仮名をつけた継手写図がある。一方、時代が下った文政年間の「匠家雛形増補初心傳:中二」には、図−2のように「目違」と「めちがひ」を

図-2.

別々に注記している。比較してみると、甲良流写本は、筆跡の異なる部分があり用字が統一されず「契」が「チキリ」とカナで誤記されているほか、翌14年に同じ流派の大棟梁が内容の相違した「御作事方仕口之圖4)」を書きしるしている点など不自然な点がみられる。むしろ時系列的にみると初心傳の事例の方が信憑性が高い。
江戸時代後期に刊行された古版本、大工雛形類控書記録は、現在でも相当数確認できるが、組手継手を体系的に記述したものは少ない。往時、最先端の技術ノウハウを開発し編み出した工匠が訓よ馴らした変体仮名は、同音異義の言葉を使っているため表記は一様ではないが「メチ」と「メジ」「メチガイ」と「チリ」「シャチ」と「テチ」「マチ」等、音韻の対応縁語・懸詞が微妙に使いわけられ重合している。
メチはイレ、メジはアケ、メチガイはハラウ。シャチ(斜置・車地)は切り、テチ(手違・手置)は打チ・組ム。この「チ」には、微小という意味の底に「契り」を呼応させ、かなり重要な響きをもつ言葉の体系が技巧に脈絡を与えている。振れメチを入れる・テチに組むという実際の仕事が理れば、「目違い継」と同様に「手違い継」なる矛盾が想起できるわけである。

図-3. 「笹継」

職人は、伝統に根差した慣習、従弟制度の中で修業し過酷な労働条件に身を置き、対立し、競合の渦中で技術を体で覚え、より高度の技へと傾注して行く。年季途中で逸脱した者により水枘までの技法が流布した事件や取材に訪れた版元にからかい半分で教えたものなど、名称の誤用・変質の要因も内在していたわけである。「継手づくし」は、一見して整った全体と錯覚しやすい。その技法が生まれた実情、中間的な形状手ぬき技・構造強度上は不要な化粧・悪戯カラクリや言葉そのものの持っていた力や勢いの他全体を包括している情感的なもの・生々しい表現などが洗いおとされてしまいかねない。
大工雛形本が商業的に出版された時代は、その時すでに、ある秩序が生まれ、生産上の体系づけが完了に近づき、安定した永続性をもつようになり定形化しつつあったと考えられるが、伝承の際、物から離れて伝わるとその名に対応する物を推定するのが困難になり著しく実体がそこなわれるのも史的事実である。秘伝や相伝されてきた技法が一般化すると同時に姿を消して時代の表面に未だ全貌を現わさないジョイントシステムも実在しているのではあるまいか。

 


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