ジョイントシステムに関する研究 ー甚五郎國政の指物ー(6)

デザイン学研究 No.48 別刷 日本デザイン学会研究発表 1984年10月
BULLETIN OF JAPANESE SOCIETY FOR SIENCE OF DESIGN NO.48 October. 1984.

ジョイントシステムに関する研究 ー甚五郎國政の指物ー(6)
A Study on The Joint-System –Joinery Design of Jingorō Kunimasa–(6)

阿部蔵之 Abe Kurayuki
AQデザイン開発研究所

1. 研究の目的と方法
変形枘・逆枘は、製作されるものの全体から細部のジョイント機構自体が強調され、流派独自の技術系譜(Identified Technology)として継承されてきたが、その技法の出現や展開・形成過程を明らかにするためには、周辺領域・関連分野の調査分析をはじめ、文化的背景を包括した総合的な史的考証が必要である。
体顕された技術を記録すると同時に、口頭伝承されてきた事柄をきめ細かくとらえ、同時代性を有する等質・近似の意匠形態及び脈絡を追求することにより、秘伝とされた「技」全体の様相をさまざまな観点から考察を加え検討することにした。指物・大工等の工匠が製作する意匠・図案は、注文主の美的感覚や趣味、経済力と密着しており世相や流行が直接影響する。
また、江戸期の住生活・工芸美術に関する記録・文献資料等は、「職人尽絵」をはじめ、木工技術・文様に関する雛形本・絵図も多く現存している。本稿では、各枘型にまつわる語彙・用語・形象を中心にデザイン形制上の対応を確認しながら年代推考を試みたので、その概要を報告する。

2. 考察と結果
伝承されてきた技術と用語は、文字では表現しにくいものや独特の言回しがあり、通常は表に出さない副次的なニュアンスを持つもの、あいまいな使い方のもの等が含まれている。名称だけでなく表現されたものの意味の幅・属性までを収録することにより全体と個々の関係も把握・補填することが出来る。
國政流の用語には、際立って特長的なコトバが多数あり、特に菊花を形象した菊枘群は、至高・究極の技として位置づけられ、「梨割れ」とともに「割り・くずし」の構成手法が用いられている。枘型の先端形状に注目すると、図ー1のように天秤系・水枘系・菊枘系の三系統に分類され、また、現代の感覚では美的対象に成りえない縄目をパターン化した「縄枘」や「水」の字体を形どった水枘群も江戸時代の生活感覚に基づいた独特のデザインイメージを感じさせる。長火鉢部材名には、「コソデ」という着物用語も入っている。工匠が考案・開発したものは、その時代の気風・風俗の中で新規性のあるものとして受入れられ評価されたわけで、時代性を色濃く反映しているものと考えられる。「二重枘」における「重ね」の技法は、「紋」のダキ(対向)構図と近似している他、天秤系「一之字天秤」の字形組合せ、「髪太天秤」の「見立」、酒器を連想させる「象嵌枘・徳利、瓢簞」など語源・用法の上から年代推定の上限をおさえる方途・キーワードがある。
さて、36通りの枘型は、いづれも簡明・直截なフォルムで、短尺・錐形の力強い性格を帯びており、写実から離れて抽象化・単純化(Simplified)された形態である。しかし、基本原形の「天秤」「霰」「束枘」のように単直で剛強・古風な感じをとどめているものもあれば、「菊」枘のように華麗・繊美な作風もあり、更に「梨くずし」のように逆枘を組むために追加挿入されたと思われる技法も重層的に混在している。「又入れ」「束」「合掌」は建築的であり、装飾性を強める集成工法の「ハナ付」は時代が下った工法と思われ、仕様・用途上でも均一でなく差異が存在することをみると一時期に全て創出されたものではない。歴代の工匠が師資相承の過程で加え、あるいは、派生・修正を重ね次第に洗練された形にまとまり整合化されてきたと言えよう。

表−1.変形枘・逆枘の形象と類似意匠の対応

枘型が一定の寸法・形状(Regular Pattern)となり、定法が決められた段階で雛形のプロトタイプが出来上がったことになるが、当初は構造強度や釘を使わずはずせない機構を開発し、からくり仕掛的な意外性に重きが置かれ、次第に装飾的傾向を強めてきた様子も伺える。類似意匠の点からは、小紋と対応し関連づけられる事例が最も多く、次いで小袖紋様・印袢纏・町火消し用具・錺金具・組子にも同様の形象が共通して使用されている。「割り」「くずし」「重ね」「複合」「ダキ」等の手法からは、紋との関連性が強い。「粋」を重んじた時代感覚にも相通じる要素があり、一定の枠組の辺縁部・隅部分に文様加飾が移行・集中していることを見ると江戸中期以降の小袖紋様の変化を想起させる。高度の「技」で上位に扱われ、主要な部分を占めている「菊枘」に注目すると、元禄の頃から菊づくりが広まり、宝暦年間に流行の頂点に達し、天保年間には菊を図案化した小紋染がはやっており、趣味・風俗からの相互影響要因も見逃せない。時代の流行物は、産業経済と不可分に連動し市場を形成するが、指物の場合も同様に、工手間を上げ、附加価値を高める手段が技術と結びつくと、より高度の洗練された商品形態・仕上を志向する競争原理が作用し新しい形が編み出される。「水枘の逆」から「菊枘」への展開は、この菊ブームと無関係ではあるまい。既に、13代指明の修理記録から文政年間に「水枘の逆」があった事例を下限として考慮すると、直ちに初出・上限を特定することは難しいが、変形枘・逆枘の系譜の体系化・工藝様式としての完成は、寛政から天保年間として位置づけることは可能であろう。