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クラフツ志料 – 4 クラフトフェア ムーブメントのイニシエーション1984/85 グレインノート「木目の音」モダンと松本木工研究会トラド 同期対奏の工芸松本メモリー
全国的に拡がったクラフトフェアー類似イベントは、1985年の「クラフトフェアーまつもと」以来、開催地 500ヶ所を超えて一つのジャパンクラフトムーブメントになりました。そのイニシエーションとなった当時の背景とクラフトフェア開催のお膳立てをしてきた経緯から、モノつくりのポテンシャル、社会現象と伝播、クラフツイベント発祥の様子などを次世代のクラフト活動につなげるガイダンスをかねてハイライトメモリーに留めます。
A. 「グレインノート木目の音」活動経歴 1984 -1985
B. 「松本木工研究会」作品展示販売会案内 1985
クラフトフェアーの開催準備と出展参加を推進したクラフトデザイン志向の木工家たちの活動は、同期しており、同じ時期には、職人技能継承から工業生産への傾斜から手仕事の良さをアピールする作品発表活動をつづけた人々もあり、ひとつの時代の空気を感じさせる創作意欲の吹き上がりを醸成していました。其のはじまりは、目立たない小さな動きです。社会現象となってきたものの、関わってきたスタッフやゲストのイメージ、評価や意見を問い尋ねる時間も必要になります。とりわけ、去って行った人物は、違和感を抱き、視点が違う所をみていたはずなのです。
A. 作り手が運営するクラフトショップ「グレインノート」の立ち上げ
ウインター展示販売 1984年11月 ABE
「クラフトフェアーまつもと」オープンエアー展示 そのイニシエーションを突き動かした木工制作家たちの活動 1985 年2月14日 経歴説明書 :指田哲生
はじまりは、松本近在のモダーンクラフツデザイン志向の木工制作家たちの作品発表の場と作り手の交流が目的でした。
① 組織
名称:wood arts & crafts Grain Note (グレイン・ノート) 木目の音
所在地:松本市中央3-5 -5 (通称仲町通り)TEL.0263 – 32 – 8850
開店:1984年7月14日
メンバー:
三谷龍二(ペルソナ工房)木製小物
羽柴 完(Kan craft)家具
横山浩司(楓林舎)家具
指田哲生(ベロ工房)家具
協力メンバー:
横山陵子(Maple mama)婦人服 綿布
伊東重喜(手仕事屋吉兵衛)木彫
伊東 恵(そめこいと)草木染 毛糸
岡本一道 陶器
甘利 紘 陶器
村上富朗 アメリカンウインザーチェアー その他
② 開店まで
松本民芸家具の仕事を経て、それぞれ独立した3人(羽柴・横山・指田)が他一名を加えて
’81に” 4 wood workers”を結成。以後、月一回のミーティングをしながら、共同で展示会の準備を行なう。
’83年5月、松本井上デパートにて、「素材は自然、 4 wood workers 展」を開催。
その後、同年7月より、旧軽井沢 教会通りにて”Kagu workshop Dennis”を開店。この時のメンバーは、羽柴、指田、他2名で9月末まで営業。「Dennis」は「Grain Note」の前身として、ほぼ同様の形態をとっていた。 ペルソナ工房の作品もこの時に出会い、家具と木製アクセサリー・小物・置物等が非常に良くマッチした。横山はこの間、清里・ロッジの仕事をしている。
’83 10月より、12月まで 再び井上デパート家具売場で”4 wood workers ” のコーナーを開催。
以後、横山・羽柴・指田の3人は、注文制作の窓口として、或いは、オリジナル家具の発表の場としての店を、三谷(ペルソナ工房)は、各地の店に製品を卸売しながら、拠点としての店を、又、新作の発表の場として” Grain Note” を開店した。
③ 方針
原則として、メンバー4人(三谷・横山・羽柴・指田)の製品を展示・販売し、4名の総意によって運営し、代表者を置かない。
それぞれの個性を尊重し、製品の質・デザイン等も個人の意志と責任に於いて、まかされる。
協力者の製品については、メンバーの総意、又は、メンバーの1人の紹介により、4人の合意を得て展示・販売される。但し、量産品でないこと、素材がマッチすることが条件とされる。
④ 開店して
製品について、それぞれの個性を尊重している為、特にデザイン的な統一性はみられないが、木の素材としての質感、[特に意識的にではなく、ごく自然に。材質は、広葉樹(ナラ・セン・タモ・サクラ等)仕上げをオイルフィニッシュ、又は、ウルシ仕上げ]の統一性、素朴さ、明るさ、親しみ安さ、などが表現された。
松本という塲所の特殊性からくる、木に対する違和感はないものの、既製のイメージの暗さ、重さ、などと対称的な店となった。
しかし、周辺との極端な違和感、浮き上り等(仲町通りには、いわゆる松本製品ではないものの、松本らしさを表現する店、益子焼の「ちきりや」、松本民芸家具の「中央民芸ショールーム」等がある。)を避ける為、或いは、趣味性などから、かなり押さえた店づくりとなった。
近年、松本周辺には、木工他、クラフトを志す人達が増えつつあり、それらの人達との交流の場・情報交換の塲としての店、の意味が加わってきた。
彼等の発表・展示の塲として、一部をギャラリーとして開放してゆきたいと思っている。又、店としての企画展を実施(勿論、メンバー自身の企画、協力者を迎えての企画等)してゆく方針である。昨年12月には、ウインターウエアーフェアーを企画、冬物衣料・婦人服・子供服・手編みセーター、草木染め毛糸などの展示販売をおこなった。(原文)
「グレインノート=木目の音」音符が奏でるような良いネーミングです。
B. 松本木工研究会 作品発表会記録(創設1978年、1990年信州木工会に改組)
第4回 松本の家具・木工展 「木と暮らしを考える」 (信州木工研究会代表高山政弘氏に当時の様子を伺いました。伝統的職人技能を重視する人々が多く、クラフトフェアーとの交流はありません。)
●会員作品の展示ならびに販売
「木からのメッセージ
木と暮らしの新しい触れ合いを求めて
木の優しさと風格を暮らしの中に」
会期/ 1984年11月6日~14日 会場 松本パルコ地階 催事場
出品者:
井出家具製作所 井出陽也
工房M&M 丸谷芳正・文恵
オクハラ家具 奥原英洋
TOKIO クラフト 小田時男
桔梗ヶ原工芸 岡部博文 郷原晴夫
桑原杢芸 桑原信一
(有) 高山家具製作所 高山正弘
たごさく工芸 脇 尚 岩月左千夫
矢崎謙一
内山伸治
α空間工房
渡辺久夫
柳沢孝夫
橋爪工房 橋爪昌訓
昼間木工所 昼間俊明
城北木材加工有限会社 峯村孝久 (木工研究会事務局代表)
中信木型工業所 百瀬昭雄
柳沢木工所 柳沢邦夫
指物 山村幸夫
アスカステン工業(株) 吉沢久典
木彫の部屋農民美術 和田秋広
(市外・県外参加者を含む)
1984 ー1985年 クラフツムーブメントの助走 主導した木工分野の人々
1895年春から、小職は二つの大きなイベントの準備を同時に手がけることになりました。一つは、「木」と人間のかかわり展1985 TO HAVE, TO BE WITH WOOD ( 昭和60年度日本デザイン学会春季大会・家具木工部会)のプロデュースと「クラフトフェアー松本」の開催折衝・お膳立てです。前年、松本市内では家具造り・木工クラフトマンたちが作品の発表・展示販売の店を開き、クラフトフェアーの開催を手探りで動き始めていましたので、デザイン分野からサポートできる機会が近いと感じていました。
当初は、松本市の会場使用許可が下りず、開催はとても無理な雲行きでした。市役所担当者の意見は、「クラフトフェアーなんて聞いたことがないし、市民は関心がない。まして他府県から出展参加する人は誰もいませんよ」と。11月からは、代表の蒔田卓坪の要請を受け、イベント企画提案書、クラフトフェアー開催推薦学会メンバーの署名、海外先行事例資料を作成し、公園緑地課、産業課への折衝を行い、 2月には許可にこぎつけました。
「木と人間の関わり展’85」(新宿京王プラザホテルプラザナード)の展示構成には、新しいクラフトムーブメントとして若手木工家の作品展示を検討しておりましたので、旧知の友人を介して「グレインノート」へ出展を招聘。出展希望は、家具制作・楓林舎横山浩司と小物アクセサリー・三谷龍二の二名で、グレインノートからの経歴説明書(鉛筆手書き・指田哲生)が送られてきました。その時のエントリーに添付された経歴説明書は、当時の木工家の活動の端緒が記載されており、クラフト諸事情を伺い識ることができる重要なメモリーになりました。
木工家具職人を経て、新しいクラフトスタイルを志向する若い工人の動きは、モダンクラフツデザインの芽吹きと感じさせる。
既存の型にはめられてきた職人技能からの離脱は、個人の作品発表・販売スタイルを増やします。木の手仕事の魅力と新しい造形デザインを生みだすベクトルが強まるという側面からも、都市圏のイベントにも踏み出せるベストタイミングと考えたのです。因みに、十数年は県外からの注目を集めて反応は大きくなる一方、地元はさして目覚めません。参集したのは若者・余所者・はかもの。
グレインノートの経歴説明は、昔ながらの職人技能から離脱する時代の変化を鮮明に語ります。エントリー書面をそのまま保管してきましたので、公開することにより日本各地へ伝播してクラフトムーブメントの発生と発展の歴史を知る資料価値があると思料します。公的支援を受けない地方のクラフト活動の魁けでもあり、木工家具分野の若い情熱が揺り動かしたクラフツ推進活動は「利益は後からついてくるかもしれないが面白そうだ」という直感、自前・自弁での参画でしたが、活気があり輝いていました。「クラフトフェアーまつもと」を始め、運営に協力・参画してきたのは、自営の木工クラフトマンが多いなという印象です。
池の水は濁り、棲むお魚さんも変わるクラフト推進池の酸欠ハラスメント
クラフト作品は、販売売り上げや制作活動の違いからも経営が難しくなり、他のクライアントとの結びつきから、参画メンバーは入れ替わり減り、メンバーの去就が続きました。販売は、個人の制作方針や販売力の違いが歴然とします。下請けに外注して作品の卸売が入り込み、知名度をあげて仕事に結び付けているメンバーは、展示会や活動で後から参加してきた実力のある才能を排除する動きをみせていました。技倆のないガイチュウ作家が跋扈するようになります。
勢い、名前を飛ばすと制作は、間に合いません。「木工デザイン」ガイチュウクラフトがまかり通りました。新参でも協奏・協力者が競争相手となるのですから、無償の運営では利害は見えにくく、ハラスメントで混沌としてきます。嫌がらせで、いつしか遠のく人がでて、古参はニヤリ安泰。工芸人は人事抗争はあまりお好きではないようです。
クラフトフェアー事務局Tシャツ制作販売では想定外も。売れた分だけ利益をとり、協力ボランティアにプレゼントした残りの注文在庫を支払わないという、理事が会計担当者を追い詰めるブラックビジネスをみせつけ、小職が引き取ることもありました。嫌がらせをしないで、翌年に売れば収益が出たのですが、未だにかなりの残映ストックを手許に抱えています。
クラフトフェアーイニシアティブの副作用
クラフトフェアー第12回頃からは、職業技能訓練校、デザイン・造形系の学生や教員が歩くようになり、最近は都市計画デザイン、市民活動の地域おこし・人文系社会学分野から関心をもつ若手のボランティア活動や調査研究も出てきました。経済波及効果が非常に高く、注目を集め、行政・イベント関連の担当者も多く視察に訪れています。一躍、全国モデルとなりました。参加・取材もしないで「野外直売所」という悪口を雑誌に書く漆作家まで現れます。ネームバリューがつき、お金の匂いがし始めると、ビジネスマインドが暴れ出し、才能より財布が先走る。
個展の集まりでありたい。作品と制作者に出会える時間を楽しむ塲所に。
クラフトを嫌いな人はいない。簡便で好感度が高い。イメージが良く、オープン、フリーで集客と経済効果が高いという見方をされていますが、本来は、作品発表・鑑賞と造り手との出会い、出展参加者同士の交流が目的でした。「作家・個展の集まり」であり、物販の塲所ではないのです。
来訪者ゲストは、快適な公園内でフリーに見て、造り手と出会い、直接購入することが出来る。制作者から手渡しで購入し使いつづけることが出来る至福の時間をもてることはとても有り難い。クラフトを楽しめる時空は、平和で安全な時代そのもの。長い時間をかけて到達したものは、地域の文化にもなりました。
*当初からのCFM協力支援者は多く、会場準備に工房設備を使い、トラック搬出入や交通整理まで労力を惜しまない面々を忘れません。
印刷物には登場しなかった”4 wood workers” の一人は、松本民芸から独立したDennis Youngです。後進の峰尾 勉(Whisky Hill Fine Wood working)、金澤知之(金澤図工)他に、内山伸治、奥田忠彦(木工)、大竹 收(大竹工房)、須藤崇文(工房ブレス) 協力した人物を書き留めておきます。
ⓒ2019 , Kurayuki Abe
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