「木」と産業「木」と芸術「木と玩具」クラフトフェアデザインの目工芸木工

観光地売れ行き工藝商品が語る戦争直前の「松本之物産 小木工藝品篇」昭和16年1941年3月發行 |A historical products of wooden crafts in Matsumoto before the world war broke out 1941.|地場工藝の物産瀬戸際宣伝_クラフトルーツ・松本工藝メモリー3

阿部蔵之|木とジョイントの専門家

1985年クラフトフェアーまつもと開催の 44年前、昭和16年3月_侵略戦争緊迫の時期に木工藝品に関する行政印刷記録が出てきました。歴史を突き動かす一級の資料です。

風俗人形では、熊彫りや刳りアイヌ民続彫刻を北海道産土産物として出していたのです。

白樺細工は、温泉行楽・山岳登山記念土産として大正時代から昭和期まで家内工業的に制作され、土産店に並びました。

この他、天然記念物指定から最後まで良く売れた雷鳥彫刻があり、  近隣の工房作業を記録しています。

当時は、産業物産品「土産品」郷土玩具類の扱い_製作者・商品名、卸商・販売元は記載されない問屋支配の時代でした。

 大正8年、上田地方から拡がった農民美術運動の伝播が、松本地方の工芸品制作に大きく影響しています。当時の不穏な経済先行き見通しで地場産業が消滅しないように型録とし、彫刻装飾品に豊かな自然や優しい動物をあしらい、暮らしの平和を願う作風が並びます。

この年、12月に悲惨な太平洋戦争が始まり、全ての社会産業経済は軍政下におかれ、軍需産業化し、自由創作品は途絶えます。敗戦間近には、アメリカ軍機の飛来_空襲爆撃は軍需施設でした。

市職は、逼迫する商業経済の予兆を見てとり、平和時の物産記録をわずかに残しました。印刷制限があり、限られた時間での刊行_察するにボンヤリではなかったと。戦後の民生復興_高度経済成長期は、民芸木工家具産業などの振興により、現在のクラフト産業の底流・礎となります。木曽地域の木材産業や漆工の寄与貢献が大きいのです。

また、近年の「工芸品による町つくり」の源流は、江戸時代の城下町繁栄にあり、諸職技能が集積した職人町域の盛業_明治期の養蚕産業勃興が起き、木曽地方及び中信地域の地方都市繁栄を呼びます。市内小池町には、指物師や鋸目立職、城東安原町には錺金具職人がいました。近郊には鍛冶屋がおり、野鍛冶・建築金物類を製作し、先人の所業を継承して次世代もやっとこさ手仕事を続けることができるのでしょう。

作品ごとに下職の手技があり、地方産業技術の流れが続き生活文化基盤の脈絡がみえて来ます。現代では、全国から出展参加があり、クラフト松本イメージが定着していると感じます。本来、職人技能は身体記憶ですから、工房の道具類や設備、作業記録がありません。製作現場を外部へ見せると、忽ち模造品が出てくるのです。現在も同じようなものですが。

 ■ 体裁:上質紙 二色刷  148 x 210 mm  p,10

品目:煙草容器 漆器 盆 莨入 飾鉢 飾額・木彫額

熊・豚人形 調味料入 カレンダー インクスタンド

風俗人形 容器 ( 主な土産品33 点)

木工品、白樺細工、染織物(藍染め)、履物下駄(椹・樅・栂)、漆工芸品、麺類が各地へ販売され、松本産業の概要として紹介されています。 海外、南洋、北海道等の販路が記録されています。

この印刷物は、反映された美術工芸技術やその趣向・雰囲気も語ります。

産業経済の物産というカテゴリーでは、土産工芸品・民芸品・郷土玩具、物産品の扱いで、家内工業的に下請け制作され、仕入れ問屋が介在し商品販売がされていました。白樺工芸産業組合の編集歴史資料があります。

1985年クラフトフェア会場公園使用許可に小職が奔走していた時分、このルーツとなる史料があれば市役所担当課への説明は容易かったのです。観光地のどこかにあるものですが、公的な記録も重要ですね。

「生活工芸」「創作造形デザイン」「手作りクラフト」「作家的職人」は 、敗戦後の復興期から 1970年 – 1980年代のデザイン思潮から生み出された用語です。

ⓒ Kurayuki Abe, 2004

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木の総合学研究 2024 「松本の木工藝品_物産産業歴史資料」「工芸都市松本の産業歴史的記録「クラフツ作品の成ナオリ」

 

 

当時の印刷技術が判り、良い保存状態です。

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