「木」とともに生きる「木識・木学」木と人間の関わり木の内科木の総合学

マテリアルから環境全体への配慮_樹木史観が変転して「木」の総合学域の現場から考究しています。 「木然・人然論」2016年師走

阿部蔵之|木とジョイントの専門家

人は、樹木とともに存立して、進化発展してきた動物です。原始から周りの動植物を食べ続け、母体を伐り倒して削り刻み、燃やし利用尽くすと、近代からは不安定で有害な無機質地下資源材料を消費して、とうとう地表の生存環境であるプラットホームを危うくしました。

 すでに自身の体も変調をおこしている人間は、ドンドン「木」から離れていく動物のハズレ・ハグレです。ようやく樹木とのかかわりの本質や重要なことに気がついてきましたが、経済優先で取組むことが遅かったのです。

鳥さんも人も樹木のあるところに休み、住むことが出来ることを本能的に知っている。木を嫌いな人はいないし、心も温まり疲れにくい。医療薬は森林植物から見つかり、静立・安全・無害が定性です。時に、大木に雷は落ちますが。

 森林は気象を緩和し、大気も浄化しつつ水循環を果たし、大地を肥沃にします。有史以来、衣食住全てに火力・資材として木材を使ってきました。人は、誰でも緑と樹木を見るだけで安らぎます。素材は、使い込むほどに輝き、廃棄焼却後には灰まで肥料や洗剤、工芸材料に活用できる。ソリッド材は炭化して燃料になり、ミネラルも灰物利用で土へ帰ります。成形金型と違い、木製ならば膨大な数量を生産しないだけでなく、ストックをみながら適度の製作を続けることができ、モデルの改良・変更・修複もしやすい。作り過ぎず、季節周期性や身近な範囲での材料供給の制約もまた秩序を維持する、再生回帰する好ましい物質循環をつくります。

大きな樹木には、人も動物も集まり、憩いと寛ぎ、生産の場が生まれました。戦闘の武器は、木製ならば殺戮も限度があります。再生・循環できる生物マテリアルが、地上文明・生活文化を支えてきました。人間の生存本能はおかしくなり、大丈夫でしょうか?

「樹木の時間」が生長速度で、命の持続モードだったと気がついた時には、回帰・修複不能。「キを失う」と「気」が遠くなる。

 人工物で攪乱され、森林が荒れると人心は穏やかでは居られなくなりました。高度工業化社会では、追われる様に忙しく、あおられるような生活では休まりません。森林は空気を浄化し、多くの命を育んできましたけれど、木に寄り添うことで人体はくつろげるのです。再生循環系マテリアル・生存基盤から離脱して修複しないままでは、好ましい状態を維持することはできませんが、無理のない、真っ当な経済生長とは、厳格にみれば樹木の肥大生長分が許容範囲なのではないかと。人間が再生増産できる唯一の自然資源は、樹木ですから。

「木の時間」生長速度が生命維持の基軸、生命圏の摂理であり、人が存在できる生命基盤は地表にあります。樹上生活が長く、DNA進化の過程で樹木に依存適応し、再生を繰り返してきた人体は、数万年前から現在まで、ずっと進化していないホモサピエンスのままなのです。しっかりプログラムされていて、適当に変異することが出来ない高等固定種なのかもしれません。

 近年、檜杉花粉症で苦しむ人が激増しています。遙か昔から寄り添い、馴れ親しんだ無害で暮らしを守る有用樹が逆に病源となり、生存環境を維持している伴生樹が快適さや親和性を失い、アレル源・傷病要因になってしまう。この変異・拒絶反応、生理的不適合は、明らかに自生不全を引き起こしています。人体の抗体免疫作用自体が狂う、現代社会の高度工業化の人為的で深刻な影響は、ミスマッチとか逸脱を超えており、問題解決への同時多解オペレーションや有効な普遍的手法を見出せすにいます。存亡にかかわる重大な瀬戸際なのかを精査検証するのは後世の結果論にゆだねるにしても、運命は劣化へとシフトしているようです。

木に寄り添い暮らしてきた膨大な時間は、おのずと樹性が深く刻まれている体質秩序を造り上げています。木から離れてはいけない生き物であることを思い知り、終末には不都合がいっぱいになり、不味い事をしたと気がつくのでしょう。

石油は不安定な変性物質ゆえに、使う人間も自ずと影響されてしまう。

 自然循環素材に比べて、石油製品は多量生産が前提、落ち着かない短命な消費、ほとんど使い捨て焼却埋め立てにされています。身の回りの化成生活用品は安直で転倒しやすく、損耗劣化が早い。落ち着かず、痛み汚れが速く、短命で廃棄物ゴミとなり易いことがわかります。自然素材は長持ちしますが高価。安直な工業製品はつかの間に変わり果てます。造られた時から崩壊がはじまり、安定せず、磨かれることも熟成することもない、実は厄介な後始末が大変なマテリアルなのです。

大量工業製品は、劣化が加速され、目まぐるしく入れ替わるので幻惑されます。使う人間の精神はゆらぎ、流行世相は生活環境まで安定バランスを失いがち。気がつけば荒廃汚染が進み、危うい状態に陥りました。

石油は、本来極めて不安定な物質です。変化しやすい資源の本源的な性質が、大きな災いとダメージも与えることは自明となりました。後始末できない未曾有雨のゴミの排出。石炭が産業革命を引き起こし、石油が文明を暴発させ、気象変動をラジカラルにしています。原子力放射能が人類を自滅させると分かってきました。地表面のあらゆる生命体が再生循環系にとどまり、適応するには不安定な無機質の過酷な物質が溢れています。いずれも地上に存在しない地下資源由来なのです。このままでは、身の回りが自然界に存在しないもので溢れ固まり、人工無機質環境には順応できないだけでなく、廃棄異物を後始末できない無理を続けているのに、持続的繁栄という虚構独善がまかり通るのでは堪りません。

自動車は、数年で廃車、工業化住宅は十数年で建替え改装、合板ボード・内装家具の耐用は接着材接合部の寿命です。合成接着・粘着剤の生産量は急激に増え、生活用品と住まいに入り込み接着加工品が溢れてきました。工業合成素材は物性だけでなく、製品そのものが崩壊しやすく、化学的変性は人体が直にダメージを受けてしまう。マーケティング戦略が行き過ぎ、過剰な添加物、デザイン偏重も目立つようになりました。

 工業製品に含まれる成分、臭いが次第に体内に取り込まれ、長期にわたり蓄積されます。人体にはフィルタリング装置はついていませんから、修複出来ず、回復するのが困難です。人工物の後始末も出来ないままで、先送りすることを持続とうそぶく。地上には存在しなかったものは、虫さん細菌・バクテリア界も相手にしません。ライフタイムが短く、便利さの裏には、廃棄が速ければ需要が高まり、際限なく消費経済が膨張する仕組みには、資源の払底と限界破綻がやってきます。

 国連ミネラルレポートによると、既に主要金属の埋蔵資源総残量は、25%を切りました。

次第に掘り尽くされようとしています。ようやく新製品買換えセーブ、修理消費減税が近く北欧から始まります。生活の厳しい北方圏では、先見の政策で世界をリードしてきたので、限界域が視えているのでしょう。この民族知性は、生存の厳しい環境下で生命維持に繋げる感受性や整合的な思考からも、人間の本性の叫びが先駆的に湧き起こるかのようにみえます。リサイクル、福祉政策、自然エネルギーの活用などは、この地域からのイニシエーションでした。

地表の生存環境バランスが崩れ、自然循環、野生の免疫システムが荒廃していきます。

 世界各地で続くとどめのない森林伐採・開発が続きます。自然の森林生態系が失われると、気象も変動して環境に大きな影響を与えます。疾病の増加傾向は、今まで抑制されていたウイルス・黴菌がひろがり、自然界の秩序や野生の免疫システムが働かないようにみえます。衛生的にするほどバイ菌は耐性増強してしまう。鳥さんも樹木へ寄り添うので、人里へ近づき疾病を運ぶのは、手に負えない連鎖の終着です。自然の攪乱から派生する不都合は増ばかり、回復はあり得るのしょうか?「木」が無くなると、景観は喪失感が強まり、樹形を増殖すると潤いと安心感に包まれ、好ましい印象をうける感性が働きます。「未来」という字体には「木」が軸になって立ち、枝幹の伸長を表します。

 「樹木の生き様、人の有り様」「木の内科」からみえてくるもの

 数千万年も立って生きて来た樹生は、数万年後の人類登場からは、樹木に寄りつき、果実花葉を採り、伐って使う便利なマテリアルにされてしまいました。住まいに使い、衣料素材、アート工芸材料にかえ、花を愛で葉や果実を食べ、樹皮を医薬にして生き延びてきました。木目は、倒れないように存立生長した樹体組織の構造そのもので、自然の芸術素材です。木肌の感触が心地良く素敵で「木目」を美しいと感じること自体が一族親派の証ですね。従来、材料資源として扱ってきた学域では、樹皮・枝葉、花実、材質、構造や物性が研究対象です。人間はずうずうしい店子ですが、多くの生物も「樹木大家」さんに寄りつき養われ、依存しています。

 樹木をみて気絶したり、拒否反応を起こす人はいません。

自然素材に親しみを感じるものですが、空気や水と同じように、普段は「木」を特別意識することもないのです。モノを言わないで黙って立って静かで動かない、ごく自然の身近な存在です。樹木に寄り添いながら、天変地異、戦乱で失って被災荒廃が起きると忽ち困窮し、初めてかけがえのないその有り難さに気づきます。地表生命同志の相互依存、その連鎖・かかわりや親和性は、密接なものでした。樹木と人にも濃密な連関があるというのは、一体性そのものを意味しています。同期し共生しているも自然で当然なことです。「樹上生活から進化してきた人間は、樹木を失うと不安定になり、存立できない」という地上生命体の摂理「キホン」がようやく見えてきたようです。生まれ育った母体をないがしろにしてしまい、自身も周りも危うくするハグレ与太者に近いのです。

 樹体の内相、生体反応の個有の仕組みは、外から見えないのでわかりません。ビッグサイズ最重量級の樹体は、人力では動かせず、木樵杣・製材の土場ワイルドワークは、一向に学術的ではないようです。サンプル保管スペースも半端ではなく、実利に結びつかない、前例に乏しいミクロ圏の観察には、手間暇軽費がかかるので公務員研究はされません。製材すれば加工マテリアル・燃料に使うので、伐った後に臨死反応、経時変化はどうなるのかなんて無用。生体変化は、全くわかりません。材料史観、商材利用で扱うので生命現象より、専らマテリアルの物性・利潤に関心が集まります。果樹大木は富裕資産となり、儲けることができるから嬉しいのです。

樹木植生が豊かな地域では、疾病・戦乱がすくなく、暮らしは安寧・平和でした。

立ち木は、外部から害傷を受けると感応し、セルフキュア・修複を発動します。連続して抗体バリアを形成し、ダメージを抑え、治癒の痕跡を残します。抗体反応の出方等、樹木の生命活動の臨象は、不思議な生命現象が観られ、人知を超えている見事な生命活動です。その変色異形を、材木屋は欠点材・不良、木味がわるい、素性が良くないと言います。「木の内科」を標榜した専問学識はなく、まだ未知の領域。「木の内科」は助走段階、まだ「無い科」です。

本来、人体は先史樹上生活を経て、木から離れてはいけないように出来ています。樹木がなくなると喪失感は大きく、安定平衡感を失い、おぼつかない混迷した心理状態に落ちいりやすい。樹木に依存していた歴史が長いので、体質は立木・森林環境系に裏打ちされており、内実「木」印です。

 樹木界の全容を知ることが、人の存立を支えている根幹のオーダーや本性を知覚することに繋がると考えます。個有樹種が多く、地形・土壌の変化に富む日本の樹相は、極めて豊かな生命現象を営み、魅惑してやみません。先行しているオペレーションや類似がないので、制約や弊害も支援もなく、フレッシュでレアーな知見にゾクゾク板します。この「木の総合学研究」は既存の学域をこえて、生命基盤を構成しているあらゆる「木」の事象を考究していきます。樹木からハズレ、ハグレないために。

20161225 ABE

ⓒ2016 , Kurayuki Abe

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木の総合学研究 2016  「木然・人然 論考」「木と哲学」「Insight 木の内科」「生命維持基盤、生存環境資源としての樹木相」

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