「木」と産業「木」の文化伝統文化工芸木工

「伝統之テキ工芸品の研究」京指物・加茂春日部桐箪笥 伝統木工芸現職がまとめたマスター版 技能書の原著実録  工芸美術の評価認定は、ガバメントの仕事ではないというギルド市民社会とのコモンセンスの違い 申請前校閲 1975 

阿部蔵之|木とジョイントの専門家

「アートクラフツは、ガバメントに認定・オーソライズされるものではない。」大臣官僚は、造形物を賞揚し支援することはできるが、「作品の評価や技能の認定は、ガバメントの仕事ではない」とする英国のコモンセンスは今も生きています。

 政府が伝統工芸品や職人の技能資格を認定し、民間の生業や資格を専管する法制をつくり、公務員が寄りつき表舞台に出てくる日本伝統文化の異質な喧伝は、クールではない。

それは、1980年、椅子職人の友人がウインザーチェアーメーカーの工房で本場技能を身につけるため、入国申請書式フォーム作成デザインサポートをした経緯は既に記載しましたが、同時に、ギルド市民社会の工芸美術に対するコモンセンスの重い大きな違いを識る貴重な経験となりました。

 渡航前に、イギリス政府 Overseas Labour Section が外国人労働者に与える労働許可 WORK PERMITをとらねばなりません。そこで、民芸館長の推薦状とともに申請書に添付する履歴書を家紋入りで印刷。職歴を雄弁に語るであろう先達の指導、親方筋と伝統工芸士による伝統を継承している経歴を強調して記載しました。

英訳文のブラシアップを同時通訳会社(サイマルインターナショナル)に依頼。完璧な経歴書を作成するための準備でしたが、ところが

「提出書類の内容では、不備、疑問点があり、このままでは、申請しても許可されないので内容について詳しく聴聞したいから直接Native担当者に説明していただきたい」との連絡あり。

それは、経歴書に記載した「通商産業省大臣認定伝統工芸士の指導を得て」という文面でした。

担当の若いイギリス人青年は、「工芸美術を政府が認定オーソライズするとう制度は有り得ない。コモンセンスでは理解出来ない」これでは申請書類は通らない」と言明。私は、日本の行政指導、認定制度を説明しましたが、ギルド社会の英国では有り得ない法制です。日本固有の行政、産業保護の法制度を説明してリライト、手書きではなく写植製販印刷をして、難しい手続きを進めることが出来ました。確かに、アートクラフツ作品や職人技能を認定する事は、ガバメントの仕事ではないのです。大臣が工芸品の評価や職人の専問技能の判断はできません。

通産省認定伝統的工芸品 Nippon Traditional  Folkcrafts Specialist (approved → licensed by Japanese Government)

認定伝統工芸士 → who was honored by the Government for his distinguished achievements in Japanese traditional artcrafts.

認定Approvedを Licensedに変え、申請手続きは進捗しました。

 日本では、奈良時代に遡ると、この工芸美術に対する考えかた、受容の姿勢が違うルーツが見えてきます。外国の先進文化を輸入するため、指導する渡来人を招請し、造営・工芸技術を学ばせ、職人を育成し、手仕事をレベルアップする方式が実施されました。はじめから導入し「まねぶ」姿勢です。古代に流入した難民・渡来人の持ち込む文化が、他所からもってくることが発展進歩という感覚を定着させてきたと思います。

 官主導で工芸技術を修得してきましたから、官公事業で公務員が職人世界を動かすことに疑問を抱きません。美術工芸史の本質的な違いは、美術・工芸の評価にも顕れます。歴史や文化の違いでコモンセンスが全く違うのです。私はこの時から、Independent 独立職人の精神的風土、クラフツマンシップとその倫理観に強い関心をいだくようになります。自営業はもとより、最近、IP Independent Photographerとか独立研究者が日本でも現れてきました。

では、伝統的工芸技能の伝承や実情はどうなっているのか。伝統的工芸品の認定事前審査のため、査読・校正作業を担当しましたので当時の貴重な生の資料と舞台裏実録を伝えます。

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A. 伝産法1974年公布の認定法制 指導的事前審査の実際

昭和49年に公布された通商産業省所管「伝統的工芸品産業に関する法律」指定事業は50年2月の第一次指定から始まります。

千葉大学木材工芸科成田寿一郎助教授が木竹部門の専問審査委員になり、構造技法に関しての申請内容の事前査読、校正を私に依頼し、四件の申請書を担当しましたので当時の作業記録は、手元に保存しています。

 民間の工芸技能と製品を審査、官庁が認定する事ができるのか、どういう意味をもち、特定の工芸産業の将来に影響を及ぼすのかと考えました。今まで身体記憶による自力の伝承モノつくりと、記録され認定という行政管理や経済的保護が反映されると、従来の手仕事の本質はどうなるのか。法制度が出来てから40年余りの時間経過で、改めて当時の申請内容を再見チェック、弊害と効果・メリットなどを考えてみました。

英国市民社会の歴史の中で、ギルド(職人集団)はガバメントの支配・統治行為に対峙し、自ら生業の権利を確立し干渉を排除してきました。それ故に大臣が認定する制度・法制は、コモンセンスで全く理解出来ないという。

当事者の手書きは修得した技能の現在をそのまま記述しており、体裁を整えた「申し出書」では、作成段階での記録は残りませんから貴重な生資料です。私が訂正し校正した部分が、そのまま反映されたかどうかは照合確認できませんので、原本の記録(手書き複写に加筆)を残します。申請前段階での貴重な手書き予稿をレアー資料で残し、現場の雰囲気を削ぎ落とさないままに。

申出様式をとり指導的施策から専問家にゆだねる審査認定作業

 産地側では適任者が選らばれ、来歴、材料資材、加工仕上げ等について、手仕事の全てを系統立てて記述する作業が要求されました。出来上がった原本を精読、間違いを校正し、産地現場の実状を把握することになりました。私の役務は、構造部ジョイントと専問用語の妥当性を検証、手直し、アドイスすることです。

有識者専問委員の審査では、事前に予稿をまとめ、構成内容を整える閲覧・修正指導があり、その作業を担当したので後の照合用に残しました。他には存在しない筆記生資料です。これがないと職人が受け継いだ記憶と体現されたものの実相との比較、公的記録となる申し出正本での書き換え、脚色・変形がつかまめません。

従来は、報道・出版側からの現場取材や、見学・聞き取りで記録されてきたものがほとんどでした。制作者が自ら語り、現業の技法に関する身体記録を書面に作成することは、大変な作業になり、収入が途絶えるので避けてきたのです。砕けて言えば、仕事に成らない、飯が食えない。

 作品だけでなく、伝承技能の詳細をまとめて表にだすことはいままでありません。教官指導による行政のプロジェクトですが、現代の伝統的工芸世界を当事者内部からとりまとめたことは、画期的な出来事になりましたが、先代からの伝承は、ルーツなど不確かで調べようもないのです。

読み込みすれば技能のエッセンスは一応は理解でき、長い修行をして体で覚えきた技能の継承が楽になります。認定されたものは持続させる制約があり、定型固定化するので創作を閉ざすことから、逆に規制ともなりかねない。申し出てガバメントが審査し、伝統がある優秀で代表的なモノとして指定登録され、ステータスを与えることになりました。有り難いことです。

現職がまとめた内容からみる時代変化 技能の本質は、部外者がいじるほど 変容するもの。

 制作技法は工程順に「微に入り細に入り」詳細に記載されています。道具を使えれば、この解説で仕事ができます。部位部材、加工、道具名が正確であり、技法の内最も重要な「組手」の名称はすべての産地で雑誌や本からの複写引用でした。これは、立体図テクニカルイラストで表現するのが大変であり、同時に、正式な伝承を識らないということになります。親方筋から相伝されていれば、基本的な言葉を外から引く事はないので、実際の制作技能は別あるというちぐはぐ。本来の職人言葉では、格好がつかないから都合のよい手っ取り早い資料を添付している。

用語から時代検証をすれば、明治32年以降のものになり、日本の公的な伝統技能が英語名の当てはめでは困ります。記録された技能の正真性がゆらぎ、不整合、疑問点が染みついてしまうのに気がつかないまま。その程度なのでしょうか。

手書き生原稿の査読・校正作業から見えてくるもの

①この産地振興政策発動は、衰退する伝統工芸品の保護や支援措置の名目でした。実際、お墨付きで保護されるような手仕事は、その命脈は延命するも衰滅へ向かい、クラフツマンシップは終焉なのです。公務員が起案し、専問委員が寄りつき、許認可専権事項となりました。

②職人方から今まで個人の相伝だった手仕事の全容を把握し整え、産地内でとりまとめる契機となりました。学術有識者の指導誘導により、フォーマットに合わせる記載ですが、今までに無かった工芸品地場産業の歴史や技能の記録が作成され、実情が明らかになりました。各人の覚えをすりあわせる途中で例外や珍怪なものは排除されて、削ぎ落としが起きます。本来は、同業他者間で競争がはたらき、職人が自発的に保持技能を整理・体系化したり、出版することはありません。

③伝承技術や実際の制作技法が詳細に解説されており、ベーシックスタンダードになります。長い修行経験を重ねなくても、次世代が覚えて修得することができる理解しやすい専問的内容です。実際の材料の扱い、制作場面のクローズアップ写真を付ければ立派なマスターブック「皆伝書」になるもの。伝承のプラットホームができる。

④制作技法が公開されると、他産地から真似類似品が顕れ、オリジナル性がくずれます。真性の技能継承者に開示して、引き継ぐ仕組みを用意す一方、一元的に管理されるので同質化、他産地の影響を受ける弊害が起きやすい。新来の部外者には遮断する防衛意識が強まります。

⑤公知認定された内容は、定着したものを変えないで持続することが条件ですから、脱皮しにくく創造的な作品が生まれない固定化が起きます。様式・規定にはめることで平準化され、個有の手仕事の魅力が薄れます。

⑥公に提出することを意識するので、普段の職人ことばではなく、現場の慣用丁符や意味深な下卑た表現は伏せ、上品な余所行きの言葉を使う変節が起きる。認定後の出版物を読むと、専問委員による修正、リライトが見受けられる。

⑦取材や聞き取りではない従事者の記録は貴重なものですが、指定されているカテゴリーに納まらず、抜けているものが多々あります。申請様式にこだわらず、後継者が自力で完成度を高め、独自の技能伝書にまとめることも可能です。

⑧公開閲覧の限界 制作技法が外部に漏れて類似品によるダメージをうけることがあり、産地の内向てきなバランスは、新参者を排除し、外からの働き掛けを遮断するバリアーが働きます。工芸作品のブランドや知的資産をガードするために、指定マーク制度を設けていることがマンネリ、高値安定を呼び、一方では、新しい才能を抑制するので後継者不足と同時に高齢化が進みます。

⑨査読・校正作業は同時に進行したのですが、指定時期は第4次、第5次、第6次、第12次とずれています。修正、編纂、印刷が遅れたのか、政策的配慮でずれたと思料します。

行政機関が工芸産業の振興を策定し、評価、審査・認定をするという日本独自の制度。

 お墨付きブランドをいただき、助成補助もでるから申し出る。「申請」すれば認定・認可される仕組み。自力自助でなしとげないとしだいに脆弱になり耐性・抗体を失い衰亡しかねない。補助金がないと存立出来ない工芸造形品は、あきられ退場する運命寿命がつきているのを延命するかのようです。再現・再興する価値があればどうにか生き残ります。歴史上、権力者による阿弥衆への工芸庇護はあったが、お墨付きはいただかなかった。武士の支配下では工芸美術を利用するも、規制することは少なく門外漢でした。代わりに家元世襲が位階を定め、師派の商益を確保することになったのですが、本来、造形は、政治や権勢の世界とは馴染まないものですし、現在のアートクラフツ作家は、法規制・資格制度はなく、誰でもなれます。明日から、陶芸家、木工作家、漆工芸家、染織り物作家になれる素晴らしい国なのです。流派の狂奏、横取り、争いもフリーですからたいしたもの。

伝統「的」とは?

「伝統」という言葉は、明治時代のTraditionの訳語です。江戸期は、「継承」「代」「到来もの」「伝来・伝承」が使われています。何代も直系では続かないし、出自系統は、はっきりしないだけでなく、前歴先例は、新参には都合がわるいから、隠し曖昧にするのが常套手段です。

伝統は、代々継承されている意味ですから、起源系統がはっきりしているもの。明治以後、近年の手仕事は伝統的という曖昧な表現でくくると、真性でも似通った傍系亜流でも含まれます。当時は、日本伝統工芸展があり、その作家的職人のカテゴリーとの区別の意味合いもあり「的・のような」名称を被せたのです。

「的」なるものの実際の姿と木工分野、工芸の伝承技能の連続性や最深奥を観ると。

申し出書類に記載されている用語をみれば、鮮明にルーツ来歴が浮かび出てきますから、技能伝承内容のレベル、相伝の信憑性、同時代生がわかります。木工建築分野の職人用語は、明治30年当時の官行出版物をみれば、伝統用語を外来語に当てはめ練り合わせた言葉に置き換わるので、年代特定ができます。さらには、記述した人の出自伝聞、能力・資質も入り込むので、オリジナルなのか、後からの付け足しや装振りが紛れているのも直感的にわかります。

B.「伝統的」工芸品木工技能の実録と研究

 通産省が全国各地の伝統工芸品産業の実情調査から、代表的な品目を選定し、産地振興政策を誘導します。前年から、事前に認定審査専問委員に校閲する手順でした。木工家具部門では、校正指導を仰ぐため手書き申請書を提出。私に構造・組手類の間違いを直すように千葉大学木材工芸科成田寿一郎教授より依頼がありました。誤りを正し、整合するように配慮しましたが、実際の印刷申請正本では、どのように反映されたかは確認することができません。

組手構造に関する記載は、本からの転載コピーを貼りつけていましたから、伝承している独自の現場用語がなく、既存の印刷されたものにあてはめる内容でした。これは、現職の修行記憶が歴代相伝ではなく、口頭伝承や親方筋を持たないということを意味します。技能は、実際には文字に出来ない発音もあります。公的に体裁を整えようとすると、生々しい現場言葉のつながりや響き合いは失わわれてしまう。

以下、工芸技能の確立と研究に反映出来るものを掲載しました。

伝統的工芸品 木工部門、①京指し物 ②春日部桐箪笥 ③加茂桐箪笥 ④松本家具 昭和50年8月事前査読  申し出昭和51年 四件

①京指物

1.「伝統的工芸品の指定の申し出書」 京指物   B4( 横手書き)

様式 1 – (1)工芸品名 京指物    京都木工芸協同組合 (元稿 昭和50年7月 / 指定 昭和51年6月 5次)

査読・校正の指摘

p.7木取り図 出典不明の引用あり。

p.11 仕口」大工用語まじり、留め,木口台図 組手図コピー引用添付 (「組接」は、昭和54年の造語 あり組接、包み有り組接 欧米訳語当てはめ 親方師匠筋があるはずですから、それを記載しないと相伝のエッセンスが分かりません。(明治32年の文部省専問學務局教科書が元版) 「天秤」「蟻」の識別がなく、混同しています。)

p12 隠し蟻形 (英文Secrete Dovetail Jointの和訳、内枘(隠しあり組接)は、内天秤の間違い。隠したりしません。「内枘」というまともな名称をつかいながら造語「隠し組接」を混ぜて技能整列にざらつきがある。因みに、外に出る貫通するものは「通し枘」途中で止める「「止め枘」の使い別けがあります。道具のイラストは、コピー切り貼り引用添付。図版は細かなところが違うので、自前で書くことが大事です。

p.13  外枘 (包みあり組接)英語訳名で「通し枘」の間違い。)「枘接」図版は雑誌・本からの引用「包蟻」は鬢太天秤を間違えて英語名Wrapped Dovetail jointをあててもの。明治39年の日本建築辞彙の少し前に「普通木工術 (文部省専問学務局編纂)」に掲載され、用語からは、120年 – 40年程で伝統というのは無理があります。「伝統的」とは、「らしい」ものと解釈します。

p.15 彫刻刀 イラスト引用コピー添付

p.17 バイト刃物イラスト引用コピー添付

p.21 面取り鉋 図版引用

p.25 鑢形図版引用

査読、校正の指摘 考察

調度指物 箪笥作業工程 p.2 「隠しあり組接」と外ほぞ、別名 包みあり組接」

英文名を当てはめた昭和末期の雑誌・本からの引用。蟻は組まない。「組接」は部外者が余計な付け足した造語。「組む」は交差する構造を意味し、「接」は面接合を表すので、異種のジョイントのちぐがはぐな使い方がざらつきます。あて板、木口台・留台や刃物の記載は省かれています。

緊結「組接」の用語は「木材加工・建築設計便覧 工作編基本加工」1961(千葉大学工学部建築学科木材工芸学教室編 産業図書(株)版)にあり、工学的に新名称で整えている。接手、組手、継手の識別が曖昧で混濁。

桶樽、曲物部には古い用語が少し残存。部分的に他の出版物を取り込み、伝統的ではない表現が含まれるが職人は身体記憶でおぼえるので混用は当たり前です。一人の編纂でまとめられており、確かな記述であると思います。組手を立体図で詳細に描くと手間がかかり大変ですが、校正では、安直に他所の資料を切り貼りすることをしないように忠言を添えました。組手をキチンと作画するのは専問職でも難しいので間に合わせ。江戸期の言葉は少なく、しゃべり言葉でも、相伝された言い回しや名称を残すのが重要です。

組手用語は、近年の改変を引用しています。表記がないと著作権上は不味い。この他の道具名、部材、手仕事の説明には誤謬や違和感がほとんどなく、全体として正調な記述です。 執筆は、京都「江南」和田伊三郎氏と聞いています。

②加茂桐箪笥

新潟県加茂市 B4( 横書き)

様式1 -(1)工芸品名 加茂桐箪笥   (元稿 昭和50年5月 / 指定 昭和51年12月 6次)

 

査読、校正の指摘 考察

p.16 あり組継枘、p.21 包み打ち p.22ー23 柄(枘)の誤記 p.25 、p.31 組手名称 包みあり組接、あり組、接ぎ 雑誌・本からの引用  p.31  「あり組」あり蟻は組まない。 継手の誤記 組手との違いが混同されている。

京指物と同じ名称をあてはめているが、本来の地元名称が混じる。

主要な技法の確立を1810 年代 江戸時代文化年間の版木本の記述を根拠にしている。組手名称は昭和50年頃の雑誌・本からの引用であり、本来の古い用語が不明。1950年代に汚れ防止の樹脂防水塗装がはじまる。明治期から大正期- 昭和戦前の製造技術に基づいた記述。

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③春日部桐箪笥

査読、校正の指摘 考察

p.16 あり組継枘、p.21 包み打ち p.22ー23 柄(枘)の誤記 p.25 、p.31 組手名称 包みあり組接、あり組、接ぎ 雑誌・本からの引用  p.31  「あり組」あり蟻は組まない。 継手の誤記 組手との違いが混同されている。

京指物と同じ名称をあてはめているが、本来の地元名称がある。

主要な技法の確立を1810 年代 江戸時代文化年間の版木本の記述を根拠にしている。組手名称は昭和50年頃の雑誌・本からの引用であり、

本来の古い用語が不明。1950年代に汚れ防止の樹脂防水塗装がはじまる。明治期から大正期- 昭和敗戦前の製造技術に基づいた記述。

 ④松本家具

4.「伝統的工芸品の指定の申出書」 松本家具 B4( 横手書き 様式)

様式 1 – (1)工芸品名 松本家具、松本帳箪笥、松本箪笥、鯱組卓袱台  (元稿:昭和50年8月 / 指定:昭和51年2月 4次)

様式1-(6)製造される地域列びに製造業者数及び従事者数
地域 企業数 従事者数 備考
様式1-(7)申出の理由
・予定されている振興事業の概要
・振興計画作成のためのスケジュール等の計画
昭和50年11月14日 振興計画に係わる認定申請書の原案作成
昭和50年12月2日 振興計画案を県と協議
昭和50年12月12日 振興計画案を通産局とヒヤリング
昭和51年1月20日 振興計画案を地方協議会で検討
昭和51年1月30日 振興計画に係わる認定申請書を印刷
昭和51年11月14日 振興計画に係わる認定申請書を県へ提出。
(指定:昭和51年2月 4次)

様式1-(8)その他参考となる事項
・地方公共団体等との当核工芸品に係る振興事業に関しての技術状況等
・当核地域に於ける当核工芸品産業の概要
・申出に係る協同組合等の概要
・その他参考となるべき事項

写真資料
附表16-17 天然乾燥工程
附表18-19 人工乾燥工程
附表20-21 図案設計
附表22-23 木取り加工
附表24-27 轆轤加工
附表24-27 錺金具
附表32-34 木地加工
附表35-44 組立加工 40-42道具
附表44-45 塗装道具
附表46-47 仕上げ金具付け
附表48-49-50 板材見本
附表 時代箪笥、松本市史抜粋、民藝家具、和家具、洋家具写真 p.29

査読・校正の指摘  考察

 組手「三方留め」を「違い胴付留枘差鯱栓接」に、鯱止めを「隠留工法」説明しているのは「内枘」を識らないため。組まないアリを「蟻組接ぎ」1725年としており、本(1979年版)からの引用です。唐木細工の劍留めも混じります。天秤を「鳩尾型の組手」欧米用語Dove tailを混用。年代推定は根拠となる資料が記載されず曖昧。テーブルデスクのワークトップを結合する送り蟻「雇いアリ駒は、敗戦後の無垢材近代木工技術です。組手ジョイントのイラストと名称はすべて雑誌・本(工作社、理工学社)からの引用となりました。「仕口加工」は、明治35年の大工用語(日本建築辞彙)のまじり。抽斗「包み打ち付け」は前板面(ツラ)から見立てる鬢太天秤を識らないため、欧米のJoinery 「Lapped」を引いいているので細部は伝統的ではありません。

 江戸期の和箪笥・船箪笥の前板錺金具、蝶番や引き手錠前、棚類の意匠、藏の大戸錠前などには、李朝家具の影響を受けています。指物は、接合部組手が精密で複雑なものになりすが、箪笥類には難しい装飾的な細工は不要で、むしろシンプルで無地、丈夫な箱体組立構造に錺金具で固める方向へ伸びました。外装は、漆塗、螺鈿・蒔絵加飾と木地仕上げ錺金具付けの二通りです。また、上方西型・北陸圏と江戸東型とスタイルの好みがはっきり分かれたのも文化や気風の違いから。金具は、年代や生産地の識別の手掛かりになります。

申請の伝統的産業の根拠として「松本箪笥」や「帳箪笥」の流れを強調していますが、「箪笥組合」は実在せず、社内に雇用していた数名の職方を組合組織として設定。錺金具は、元社員の澤木工房(波田町在住)が民藝店舗の装飾サイン、照明具、時代箪笥の錠前や引き手金具を模造していました。

製品は伝統家具ではなく、民藝運動から模造した李朝家具、ウインザースタイル、コロニアル、フォークアンチークファニチャーデザイン家具を主に制作、「民芸家具」として制作販売したものです。脚物や収納家具は、民藝調と呼ばれるシンプルデザインが好まれ広葉樹塗装の物が量産されることにつなりました。従って、数名の優れた木工の手仕事・伝統技能保持職人は就労していましたが、製品は近代木工洋家具主体です。松本帳箪笥の模造品が展示会で陳列されています。材料は、昭和60年頃には水目・真樺が枯渇し、雑樺類に変わりました。

この申請事業は、産地形成企業の全体ではなく、一社が主導してサブコン企業のグループアクションという格好となりました。松本家具と松本民芸家具はおなじカテゴリーではないのですが。

 伝統松本家具は、明治期に江戸指物で修行した腕の良い木匠が帰郷し、旧小池町で仕事場を構え、徒弟を育て、そこから数名の弟子が活躍して現存している箱物を多く制作。更に孫弟子が手仕事を伝承してきたという別の歴史があります。三方留めは異質です。江戸時代後期には、引き手錺金具は城東の安原町界隈で制作され、古い家具金具販売店も最近までありました。金属飾り職、家具金物類製作は、浅草吉原地区でも装飾品工房があります。

伝統的松本家具と松本帳箪笥、松本民芸家具事情

経産省・大臣認定を受けると、格付け・お墨付になり、販売プロモーションにつながります。李朝・ウインザースタイル及び英国・アメリカのカウントリーファニチャーコピー、及びアンチーク風民芸家具を伝統的工芸品認定にするために、存在していない松本帳箪笥フェイク組合を看板に伝統的工芸に仕立てたのでした。

帳箪笥製造は明治期に終焉、金具鍛造職も衰滅。民芸調家具は、柳宗悦の民藝運動の影響を受け、西洋家具のコピーからはじまります。伝統的工芸品認定申請書類の校閲作業を引き受けるも、違和感を覚えましたので実録を残します。

技能に関する手稿は、身体記憶のオリジナリテイが載っているのでそのままに原著を残したい。

 手仕事工芸品が伝統的であることを国に認めてもらうとお墨付きで販売が増え、後継者の育成にもつながります。事前の行政アプローチがあり、指定様式で申し出れば審査し認定する制度で、国家登録すると指定マークを使うことができ、使用料を支払う。販売促進・宣伝活動も行政がサポート。その技術保持者は、「伝統工芸士」と名乗ることができる。でも、伝統的工芸士とは言わない。販売へシフトした店頭的工芸品や暮らしから離れた転倒的工芸では御粗末。「伝統」という言葉は、Tradition の翻訳で、明治以後の造語でした。以前には、「伝承」「伝来」「直伝」「秘伝」「相伝」や到来が使われてきました。「伝統的」は、昭和49年公布の造語です。発祥から、古い手仕事の流れは続いていますが、用語からみれば多くは近年の仕事になります。長い修行と経験を積んだベテランが、本業を止めながら書き記した技能覚え書に敬意を払う意味でも、安易に変えたり、崩し捨ててはいけない。手の痕跡がものをいいます。これらの手書き元原稿は、制作法・工程のほとんど詳細に記述した内容です。他に類似はない具体的・実践的なものでした。

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木の総合学研究 2017 – 2019 「伝統之的工芸品技能書 – 木工芸分野の職人技能・現職がまとめた原著作の記録と考察」「ArtCrafts の自立生業・クラフツマンシップ」 「Traditional Japanese Joinery and Cabinet works in KYOTO and KAMO, KASUKABE, MATSUMOTO」

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