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門外不出の「シメアテ」木工練り付け専用アテ板の明治期考案_鉋仕上げから直ぐに接着圧締できる両面反し自然接着|The reversible workbench palaten for natural adhesive joining , an ingenious invention of KICHINOSUKE’s joinery. | プロのアテ板考-2 ハンドツールジャパン -55
膠や米飯練り糊は、古来から使われきた自然接着剤ですが、親方筋を引く木工職は「糊押し」「練物ネリモノ」「練付け」と言います。
鉋削り仕上げから素速く裏面を反し、化粧材を「練る」ために祖父伊藤吉之助が自作した圧締用アテ板_素速く接着作業へ移行でき、重し石を載せていたという母の記憶から、使用時の手際などを検証してみました。
アテ板反し圧締「シメアテ」の実測 と素速い使い勝手
裏面の摩耗した部分や損傷から使用頻度が読めとれます。汚れは、接着剤洗浄の跡です。
糊押し
米飯糊・膠は、伝統工芸に必要な自然素材ですが、水で剥がせるので修復保存には重要なもの。お米は、美味しい現代米では粘り接着強度が足りないので使えず、昔の品種をなんとか探します。膠も三千本がよいのです。
戦争を生き抜いた 指物師の「アテ板」
鉄製品・木工道具類は戦時供出させられ、父は海軍に徴集されてしまい仕事場を畳みました。生還したものの敗戦後は物資がなくなり、預金封鎖で生活は困窮し、仕事も混乱を極めました。
敗戦後は物資がなくなり、更に預金封鎖で生活は困窮し、仕事も混乱を極めました。國政流組手は奇跡的に生き伸びて相伝されたのです。
麻布六本木にあった祖父の木工所は、近くに近衛師団(現在の防衛省)があり、アメリカ軍の爆撃で被災。全てのアテ板は指物師祖父の田舎に疎開させ、父の避難先 西多摩郡吉野村へ転送され、継承されて残り現存しています。
アテ板がなければ仕事にならない重要な木工用具ですが、狂いが少ない良質サクラ厚板は稀少となり、指物技能の伝承のためには切削刃物道具と伴にアテ板も燃やさないでいただきたい。 刃物道具は行き渡りますが、アテ板は傷だらけで処分されてしまうのです。
この「シメアテ」は、使い続けて發明家的指物師吉之助自作で明治後期の最古の現存となり、弟子も見たことはないでしょう。「糊押し」が作業は小僧の仕事とされ、先端を尖らせた角材を突くように見えるので、門外の人が「続飯ソクイ」に記載したので文書や辞書には「糊押し練りもの」は、見当たりません。親方修業したのか、学校卒の出自の端的な違いが用語にでます。
明治中期から化粧材を張る家具技法練り付けが拡がりました。アテ板頭の切り込み、脚付き段違いは、見てもなんだか判らない_保存文化財にはなり得ない産業歴史記念物は、戦争をくぐり抜けて二世代が使い続けたものです。修復保存や工業接着剤が無くなったら復活するでしょう。
箪笥制作でも、万力、ハタガネ、プレスがない時代には、締め板にシンバリをかったり、小物だh接着圧締は紐巻きでした。接着材を塗布して直ぐに締め付ける用具は重し板でした。可使時間が長い工業用合成接着剤が昭和 30年頃?に開発されると、米飯を練る「糊押し」は家具や建具制作現場から消え、プレス機・クランプに変わりました。最近、手近なハタガネの良さが見直されてきました。
ピアノの響板も天井シンバリ棒で圧締するのが良いという楽器職人の話しを伺い、クランプで締め上げるものではないというプロの見識も大事にしたいと考えます。床作業では、あらゆる仕事にアテ板が主役でした。
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■ベテラン家具職親方のコメント:
アテ台での錬り付け、豪圧のプレスとは違い、必要にして十分な圧締力が出せたのでしょうね。錬り付ける化粧の板は1分〜1.5分ほどの厚みだったのでしょうか。「錬り付け」という用語は私もフツーに使いますね。ただこのようなアテ台は初見。
続飯(ソクイ)ですが、私の親方は「兄弟子」などと冗談交じりに言っていましたね。
ここ15年ほどは使うことも無くなってしまった。続飯を使っていた親方の下で修行することも無くなっている今の「木工家」は、ソクイ、とおう言葉自体知らないでしょう。
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木の総合学研究 2023 「自然接着・圧締用アテ板の考案_明治後期に使われて伝承されていた木工重し石載せプレス」「床作業切削工作台・アテ板の圧締両面使い」