「木」の道具・工具ハンドツールコネクション木工

鉋台打ち名工・青山駿一(続)と鉋刃名鍛冶「も作」鉋刃押さえ溝楔打ち締め嵌合ジョイント ベストハンドツールコネクション-3

阿部蔵之|木とジョイントの専門家

平台・長台、小鉋豆鉋の他、オーダーメイド特殊鉋、大工・家具・建具職・桶屋用鉋まで極めて広いレパートリー。  作り手の要望にあわせて制作し、火造りもこなす向学チャレンジ精神の三代目の練達・至高。

P1020090-1P1020144-1
P1020143-1P1020145-1

平台鉋 台打ち工程 青山駿一

Japanese Hand Plane “DaiKana”  Blade Setting by Aoyama  Shiyun ichi

1]P1020088-12]P1020095-1

3]P1020108-14]P1020118-1

5]P1020159-16]P1020166-1

7]P1020178-18]P1020190-1

9]P1020198-110]P1020206-1

11]P1020215-112]P1020225-1

13P1020239-114]P1020251-1

15]P1020262-116]P1020269-1

17]P1020279-118P1020316-1

19P1020320-120P1020324-1

P1020235-1P1020299-1 P1020156-1P1020177-1

P1020138-2

台打ち取材・記録  AQ20110226 

 DSCN6157^1
20141202 台打ち納め  撮影:工房ブレス 須藤崇文
鉋刃(穂)は自分で挿げ、台が主体。打ち刃物がブランド化する時代のはじまりは明治30年代か

鉋刃は、鍛冶屋の仕事ですが、鉋を使う大工や指物、履物・道具製作職人は刃物( 鉋穂)を購入し、台は自分で挿げるものでした。江戸初期から明治中期まで、鉋穂は、まだ専業になってはいないので種々鍛冶屋が注文に応じて制作。制作責任を明示するためはじめは屋号などの刻印が小さく打たれ、次第に鉋刃の商標化してきたブランディングが明治35年頃?と推定します。台打ち専門職の開業記録が名古屋では、明治39年ですから、日本刀の需要がなくなり、刃物鍛冶が大工道具・包丁などの打ち刃物へ転業した時期は、鉋台入れ専業職が出てきた時期より少し前と推定。明治37年の大阪朝日新聞に「五徳鉋・実用特許品広告」が出ているので、鉋の需要が高まり、技術的進歩が起きて来た時期とも重なるようです。鉋台入れを専業に出来る製造数量が確保でき、職人から直接受注のみではなく問屋・販売店からの注文、取り扱いが増えて来た時期が明治後期であることが判ります。(江戸期の鉋刃や鑿の刻印を調べ明確な変遷を把握するのは今後の研究課題)

なぜ鉋は刃物鍛冶の屋号・雅号でブランディングが成功したのか、専業化のプロセス
青山鉋店991211 -b 青山鉋店 19901211-a
鉋穂を台に自分で挿げるのは、一日の手間仕事です。樫の台木は、あらかじめ手に入れ自然乾燥して用意、休みや夜なべ仕事、合間に自作していたものが忙しくなり、ニーズが高まり、いつしか便利な請負い専業職が生まれてきます。自分の好みにあうように自作して使うより手間がかからず、簡便で安価になり、同時に仕様が標準規格化されてきたことも既製品化する要因。本来、台に合わせて研ぎ、台が主体の鉋ですが、切れ味や研ぎ易さ、品質の善し悪しは刃物に負わされ、刻印銘「商標」が真ん中にいますので、自然に鉋の性能が商標で評価するようになり商人が流通販売利権として定着させてきた歴史があります。
職人の話題性が高まると更に意匠をこらし差別化、高級なイメージや芸術的なネーミングを考案。商標登録制度が明治時代から産業界に浸透したことも影響しています。(現在は、知的資産)また、鍛冶屋の商号が「なんとか鉋制作所」。鉋刃は製造しますが台は別もの、刃物を問屋や道具店が台屋へまわして仕込み完成商品になります。ちなみに「鉋刃制作所」と言わないのが不思議ですが、鉋台屋はずっと下職にされていました。台入れ職人は、直接使用する客に接することがほとんどなく、購入客は道具商の解説・推薦を受け、商標で性能評価・値段を判断したのです。やがて、鍛冶職や小売店も自分の独自ブランドをつくり出し、有名な職人の刻印は、独占版権を取得して看板商材になりました。広く流通すると代が変わっても「影打ち」がでてまがい物も固定化される。普通の人は権威・名声に弱いんだ。ブランドは商標ですが、発生は古く「名前を飛ばしはる」京の都の口コミ、有名ブランドは昔から強いのです。

制作者表示と時代の変化・作家的職人へのシフト

P1120480-1
青山は、露橋移転前まで甲にゴム印を大きく印字し平成6年8月から台尻に青山刻印に統一、自分の作品であることを表示し続けてきました。台打ち職が自分の作品に出来ない由は、刃物鍛冶との合作であり、問屋筋の発注品で下職になってきたという事情もあるのです。自分の作品・ブランドで売り出すには、刃も台も全て自作でないと表示しにくい。鑿などは、握る柄の加工比率が小さいので専門の鑿穴・柄加工職人は表に出ません。これから先の刃物鍛冶が作家的職人として創作、活躍する道も見えてきます。
建築大工の仕事がなくなり、大工道具量産工場・専門職が次第に廃業していく中で、新しいスタイルの制作者が出てくるでしょう。木工具のみならず、刃物の究極的な魅力は機械化されてきても伝統の中で生き続け、少なくなりましたが継承する工房スタイルの若い工人が現れています。

鉋刃専門鍛冶と台入れ専門職人のベテランのコラボレーション、名工の協奏が最高の道具を造り出す。手鉋の性能は、鍛造刃の切れ味・研ぎの評価だけでなく、台打ち職の技能も重要な要素なのです。

青山鉋店は、三代続いての蓄積で木材加工、工芸分野のニーズを請け、大工・指物・建具、桶やなどの汎用から特殊鉋、工具を制作してきました。その経験と技能を活かす業界が少なくなり、同時に刃物ができる職方も消えつつあります。鉋鍛冶も減り、東京は、新潟、名古屋、播州三木と4大産地でしたが都内では二代目「も作」一人になりました。

私は、生まれ育ち、幼児期の環境から、東京刃物に近いので一通りの鉋制作を青山鉋店に依頼するにあたり「も作」で揃えました。他に、新潟の時貞鉋制作所 椛澤貞夫、碓氷鉋制作所 碓氷健吾、恵比寿の石堂輝秀鉋制作所作品を直注、台打ちは全て青山駿一。他に東京三鷹の「やまあさ」伊藤宗一郎(台打ち)作品を数丁。昔から東京の鉋類は、地味小振り、シンプルです。スタイル・化粧も田舎ほど派手造り。

赤樫・白樫台の違い、研ぎ・鍛冶屋の将来など

名古屋には、九州からの大工さんが多かったので赤樫台が好まれた時期がありました。三木・大阪と東京それぞれ仕様・好みがちがい地域性があるのです。赤樫材は白樫と比べると少し柔らく、白樫台は赤樫に比べ刃口刃先がみえやすい。紅白で道具の使い分けが楽しめます。

* 鉋刃は、鍛冶屋へ直接注文するより、台打入れ職を通じて注文するほうがベター。鍛冶屋も専門職ルートの方が品質に責任が果たせるし値段もリーズナブル。

鉋穂(鉋刃)は、鍛冶屋の鍛造後に刃付け専門の水研ぎ屋に行き、次に台屋と呼ばれる鉋台専門職に渡り鉋が仕上ります。分業で製作されてきましたが需要が減り、今後は、昔のように全ての作業を1ヶ所でこなすようになるでしょう。台入れ職は、現在新潟・三木に数人現役です。

以下、次世代御用・特注作品ストックです。

台鉋・平台 青山駿一台挿げ作品 鉋刃「も作」東京西新井 赤樫・白樫 30mm – 80mm

P1120425-1P1120432-2

も作

小鉋 赤樫台 八分勾配 共裏付き/ 甲青山鉋店ゴム印  1994年9月

・一寸30mm     45W x 154L x 26H    220g   

・一寸一分33mm   48W x 168L x 26H    270g    

・一寸二分36mm   51W x 183L x 28H    340g
・一寸三分39mm   55W x 198L x 28H    370g
・一寸四分42mm   58W x 213L x 30H   470g
・一寸五分45mm   60W x 221L x 30H   520g
P1120538−1-1P1120523-1

も作

・小鉋 赤樫台 八分勾配  共裏付き/ 台尻青山刻印 1995年7月
・一寸30mm           45W x 154L x 26H       230g
・一寸一分33mm   48W x 168L x 26H       270g
・一寸二分36mm   51W x 178L x 28H       325g
・一寸三分39mm   55W x 181L x 28H       350g
・一寸四分42mm   58W x 198L x 30H      460g
・一寸五分45mm   61W x 214L x 30H       535g
P1120503-1P1120507-1

も作

平台鉋 赤樫台 八分勾配 共裏付き  台尻青山刻印 持ち込み台 1993年12月
・寸八  70mm   90W x 290L x 37H     1,250g 包み堀 (和鉄)
・寸六  58mm   77W x 263L x 37H     1,020g
P1120496-1P1120499-1

も作富士

平台鉋   赤樫台 八分勾配 共裏付き 台尻青山刻印 持ち込み台 1993年12月
・寸六64mm 84W x 288L x 37H     1.220g    (安来鋼白一号)
・寸四58mm 77W x 266L x 36H        989g
P1120485-1P1120486-1

も作

平台鉋 白樫台 八分勾配 共裏付き 台尻青山刻印 持ち込み台 1993年3月
・二寸80mm 96W x 305L x 36H    1,480g  包堀
・寸八72mm 90W x 290L x 36H    1,250g
P1120447-1P1120455-1

も作

平台鉋 長台 白樫 八分勾配 共裏付き 台尻青山刻印  持ち込み台 1993年3月
・二寸 80mm          95W x 410L x 36H      1,790g
・寸八 刷台 70mm 92W x 410L x 36H      1,500g      (2丁)
P1120472-1P1120468-1

も作

平台 中長台 八分勾配 共裏付き 台尻青山刻印 持ち込み台 1993年8月
・寸四52mm 白樫  67W x 368L x 32H      955g
・寸四52mm 赤樫    67W x 373L x 32H   1,010g     (2丁)

*刃幅呼び寸法:
二寸 76mm
寸八 70mm
寸六 64mm
寸四 59mm
実際の削り幅とのズレあり、小鉋では刃幅の実寸をいう。作者により仕上がり寸法が違うこともあり
鉋の刃寸法は、実際の刃口・刃先幅を確認してください。
東京の現役  名鍛冶「も作」

P1120570-1P1120547-1

も作 和鉄切り出し 「遊び打ち」

・和鉄 和釘古材 22W x 140L   27g
・玉鋼 18W x 155L   25g
・玉鋼 18W x 140L  20g

東京鉋刃鍛冶・神田も作について

「も作」二代目神田も作(神田規久夫 昭和8年生まれ)都内でただ一人の現役鉋鍛冶。昭和8年生まれ 足立区興野(西新井)1-11-15 初代「茂作」神田茂経(しげつね)新潟三条で修行し、昭和初期、両国で創業。問屋納品を続け知名度をあげて「茂経」から「茂作」に改銘。
機械はスプリングハンマーぐらい。火造りで形を整え、銑・手鑢で仕上げる。炭火焼きの黒地金色。作風は、装飾を控えおとなしい地味な造り。簡素な雰囲気がある。東京鍛冶の特長。研ぎやすく腰の強い長切れする最上級の鉋刃を制作。針葉樹、堅木(広葉樹)いずれにも適し用途が広い。研ぎやすさは、普通。和鉄や釜地の良質地金を用いて安来鋼・玉鋼、スエーデン鋼を使う。(炭火焼き:コークスや電気炉で焼く他の工房の仕上りと違う)ほとんどグラインダーに頼らない手鑢仕上げ。(体力が必要)グラインダーで擦り落とすより手鑢の方が速いと。(青山駿一、他専問筋、知人の評判等からの評価)

日本台鉋の系統図  汎用市販品の類型 1987AQ

棒鉋・地すき、専業特殊型は未記載 カラー部分は掲載した平台・長台、小鉋
台鉋系統図 19870 - 2014 -a

ⓒ2014, Kurayuki Abe

All Rights Reserved. No Curation and No Business Uses.

複製・変形・模造・引用・転載・画像転用・キュレーション・業務利用を禁じます。作り変え、まとめサイト、ライター、 pinterest・ロボット無用。

※ 近日、著作権法改正による無断ダウンロードが制限されます。閲覧のみにしてください。

 木の総合学研究2014 – 2019 「木工具・鉋台打ち」 「ベストハンドツールコネクション」

▼ お気軽に一言コメントをどうぞ

次の記事: